11月19日午後5時前、福島市の市道で、波汐國芳(なみしおくによし)容疑者(97)が運転する軽乗用車が、歩道に突っ込み、歩行者や車3台に衝突する事故を起こしました。
この事故で、歩行者の女性(42)が死亡し、他4名の負傷者が病院に運ばれました。
この記事では、97歳のドライバー・波汐國芳容疑者が、元東北電力社員だった過去や、現役の歌人であることをお伝えいたします。
また、事故現場や福島市の実情について調査したこともお伝えいたします。
神奈中(かなちゅう)バス事故の現場を調査「バス1台分の細い道」町田市能ヶ谷7丁目
波汐國芳(なみしおくによし)は元東北電力社員「原発事故を後悔」川俣営業所長
高齢ドライバーの交通事故としては、高年齢すぎる97歳の波汐國芳容疑者のことを調査していると、かつて東北電力の社員であったことがわかりました。
ツイッターで、波汐國芳容疑者のことがこのように紹介されていました。
上記のツイートに紹介されている、2014年の東京新聞では、波汐國芳容疑者は、1980年まで、東北電力・川俣営業所長を務め、原発推進を勧める一員だったことを明かしていました。
〔フクシマの歌〕◆ 「3・11」の12年前、波汐國芳さん(元東北電力・川俣営業所長)は、メルトダウンを予感し、こんな歌を詠んでいた / 桜木の木下の闇や原発の炉心溶融あるかも知れぬ ★ フクイチ被曝地の桜はことしも咲いたはずだ! 安倍政権が再稼働を進める日本。美しい国の桜を放射能で穢してはならない!
・退職前の一九七八~八〇年には、福島県川俣町の川俣営業所長を務めた。東北電力は当時、浜通りの浪江町と小高町(現南相馬市)で「浪江・小高原発」を計画。波汐は社の方針に従い、電化教室などで地元住民に原発の安全性を説いた。
「会社も、組合も推進だから。飯舘村の人たちを福島第一原発に案内したこともありました。チェルノブイリとは型が違うから安全だって言ったりね。実際は受け売りにすぎなかったわけだけど」
・事故の後、波汐は深い贖罪(しょくざい)の思いを歌っている。
<原発に一枚噛(か)んで古井戸の汲(く)んでも汲んでも尽きない悔いだ>
出典:東京新聞 2014.3.19 より
1980年、42年前の波汐國芳容疑者は55歳でした。
55歳で東北電力退社となりましたが、それまでは、原子力発電所は安全だということを、地元住民に説いてきた人物であったことが記されていました。
東京新聞によれば、2011年、東日本大震災の原発事故が起きる12年前に、波汐國芳容疑者は、メルトダウンを予感し、「桜木の木下の闇や原発の炉心溶融あるかも知れぬ」という歌を詠んでいたとしています。
大地震が起きるまでの31年間、ずっと原発の危険性を考え続けて生きていたことが感じられます。
元東北電力社員・川俣営業所長である人物が、歌を詠むとはどういうことなのでしょうか。
さらに、波汐國芳容疑者について探っていくと、波汐國芳容疑者は、 “歌人”であることがわかりました。
以下で、 “波汐國芳” という歌人について調査していきます。
波汐國芳容疑者は歌人「安倍政策を歌で痛烈批判」短歌結社・潮音所属
ツイッターを調査していると、2019年に以下のようなツイートがされていたのを発見しました。
< 原発を真実、制御なし得ずに富のみ得んとしたる人らぞ > < 闇深きふくしまの地にわが生きて歌を吐くなり火焰吐くなり > shiikabun.jp/prize/226.html
★「復興が進んでいる福島の姿を世界に発信」と口にする安倍首相の言葉の軽さよ
こちらのツイートから、波汐國芳容疑者が歌集を編纂するほどの歌人であることがわかりました。そして、自身の作品集『警鐘』で、原発再稼働を推進していた安倍政権を批判していたこともわかりました。
先述した東京新聞で報じていたのは、波汐國芳容疑者がかつて東北電力の社員ではあったが、原発推進は間違いと気づいたということでした。福島原発事故の後、波汐國芳容疑者が、深い贖罪の思いで歌った短歌、「原発に一枚噛(か)んで古井戸の汲(く)んでも汲んでも尽きない悔いだ」を紹介した記事でした。
波汐國芳の経歴「75年の短歌生活」日本歌人クラブ参与
波汐國芳容疑者の歌集『警鐘』が、「詩歌文学館賞」を受賞した際に、波汐國芳容疑者の経歴が掲載されていました。
[略歴]
1925年いわき市生まれ。47年『潮音』入社。四賀光子・太田青丘に師事。歌集『列島奴隷船』等14冊。2007年、歌集『マグマの歌』で第三十四回日本歌人クラブ賞受賞。09年、福島県文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。『潮音』選者。『白夜』選者。『翔』編集発行人。出典:詩歌文学館賞 より
1925年にいわき市で生まれた波汐國芳容疑者は、22歳の時に『潮音(ちょうおん)』という団体に入社したと紹介されています。
『潮音』を調査すると、1915年7月に結成された、歴史ある短歌結社であることがわかりました。
短歌結社・潮音です。
潮音について
太田水穂が提唱した日本的象徴を、四賀光子、太田青丘、絢子が拡充し、現代をいかに歌うべきかを追求する活発な集団。疋田和男、工藤邦男、波汐國芳、足立敏彦、平山公一、永平緑、稲垣紘一、小市邦子、木村光雄、茅亮子、黒部道子、三津野幸代、伊藤正幸、高木佳子ら、特色ある選者によってそれぞれの個性を育成するよう努めている。
出典:潮音 アメブロ より
22歳の時に歌人を志し、55歳までの間、東北電力に勤務し、退職後は歌人として、福島県に根付いていた人物であることがわかります。
歌人としては、驚くべきことに75年のキャリアということになります。
3年前の2019年に、新しい歌集を発表するなど、現役歌人としての最新活動情報も報じられていました。
歌集 鳴砂の歌
著者 波汐 國芳
定価: 2,860円(本体2,600円+税)
発売日:2019年08月31日
癌ゆえに逝きにし妻ぞ被爆地の福島に住み逝きにし妻ぞ
出典:KADOKAWA より
ものすごくバイタリティーあふれる人物であることを感じます。
また、波汐國芳容疑者の所属についてさらに探っていくと、全国に各ブロックを有している、「日本歌人クラブ」の参与を務めていることもわかりました。
(出典:日本歌人クラブ HP より)
ブロック役員
参与=波汐國芳
以上のことから、波汐國芳容疑者は、過去の原発事故の悔いをバネに、短歌を作り続ける、歌人歴75年の大ベテランであることがわかりました。
イメージ上の97歳よりもはるかに若々しく、精力的に活動を続ける人物であったがゆえ、自動車の運転もできてしまうという側面があったということにもなります。
以下で、今回の自動車事故がどこでどのように起きてしまったのか探っていきます。
波汐國芳の事故現場「イオンで買い物した後の暴走」福島市南矢野目
テレビユー福島の映像を元に、事故現場となった場所をグーグルマップで調査しました。
(出典:テレビユー福島 より)
“AEON” が目印となる事故現場は、左右に駐車場入り口がある場所でした。
波汐國芳容疑者の軽自動車は、イオンから出てすぐの地点で暴走し、歩道に突っ込み、信号待ちの車に次々と衝突していったとされています。
(出典:テレビユー福島 より)
事故現場は、福島県福島市南矢野目西荒田、イオン福島店隣の歩道と車道でした。
地図で表すと以下のようになります。
〒960-0112 福島県福島市南矢野目西荒田
さらに広域で表すと、福島市の北に位置する場所でした。
事故車両の向きを見る限り、波汐國芳容疑者は、イオンで買い物を終えて、駐車場から出て来たばかりのように見えます。
車道に面した瞬間、アクセルを踏み間違えて暴走してしまったようです。
報道では、波汐國芳容疑者は、 “北沢又”という場所に住んでいることが報じられています。
警察は、軽乗用車を運転していた福島市北沢又の無職・波汐國芳(なみしお・くによし)容疑者97歳を、過失運転致死の疑いで逮捕しました。
出典:テレビユー福島 より
以下で、北沢又という場所の位置を確認していきます。
波汐國芳住まいは福島市北沢又「近場でも車が必要」イオン福島店周辺
福島市北沢又を調べてみると、どうやらイオン福島店も含む地域であることがわかりました。
波汐國芳容疑者の住まいは、イオン福島店にかなり近い範囲内にあることがわかります。
97歳の波汐國芳容疑者にとって、食料品を買い求める場所として、最も便利な商業施設が、イオンであったのでしょう。
近隣ではありますが、移動の面でも、買い物の際に生じる荷物を積むのにも、軽自動車の利用が都合が良かったことが想像できます。
『デイリー新潮』の報道で、波汐國芳容疑者の住まいは、車で5分ほどのところ、1キロも離れていない住宅街であることが明かされました。
波汐容疑者の自宅は現場から、車で5分程、1キロもない距離の住宅街の中にあった。古い二階建ての家屋だが、玄関周りや庭は掃除が行き届いている。近隣住民は「ここらでは立派な先生として知られています」と語る。
出典:デイリー新潮 より
97歳という年齢を考えると、ふつうであれば、車いすで、誰かに押してもらっている姿がイメージできます。
自分で買い物に出かけ、車さえも運転する97歳は、ある意味すごいと思います。
私たちが思う、1キロ5分の距離は、97歳の老人にとっては、遠く感じてもおかしくはありません。
波汐國芳容疑者が97歳になっても車を運転できるにしろ、家族の反対はなかったのでしょうか。
波汐國芳家族「妻に先立たれ独居生活だった」4人家族
『デイリー新潮』によると、波汐國芳容疑者の妻は、3~4年前に亡くなってしまい、波汐國芳容疑者は独居だったことが報じられました。
そして、娘と息子は東京住まいで、たまに返ってくるくらいで、疎遠だったことも報じられました。
3~4年前に妻を亡くしてからは、ずっと一人暮らしだった。 「ヘルパーさんが週に何度か家に来て、身の回りの世話をしています。どこか体が悪いのかリハビリ専門の方も出入りしていました。娘さんと息子さんがいますが東京に住んでいて、たまに帰ってくるくらいです」(地元記者)
出典:デイリー新潮 より
ホームヘルパーがいたようですが、娘も息子も同居していない様子を見ると、波汐國芳容疑者が頑固だったか、子供たちが介護の意識が薄かったとも感じられます。
そして、ホームヘルパーが運転を代行することもなかったことがわかります。
いくらホームヘルパーがいたとしても、97歳の父親を4年も一人にして、子供たちが側に居てあげなかったのは問題なのではないでしょうか。
『デイリー新潮』が、波汐國芳容疑者の私生活をこのように報じています。
「独りで暮らしていましたが、お元気そうでしたよ。ゴミ出しもいつも歩いて自分でされていました。ただ、『運転は危なっかしいね』とみんな不安げに見ていたんです」(近隣住民)。
近隣住民は「ここらでは立派な先生として知られています」と語る。
「地元紙『福島民友』の歌壇で選者も務めていた有名な歌人さん。普段からよくお弟子さんが、車や自転車に乗って自宅に訪ねて来られます。みなさん70過ぎの高齢な方ですがね」
(出典:デイリー新潮 より)
近隣住民からは、元気そうに見えるが、運転は危なっかしくて不安だったという声が上がっていました。先述した “歌人”として、現地でも有名な先生として崇められていることがわかります。
70歳過ぎの弟子たちが訪れることも報じられていますが、それが生活の安定を示す判断材料にはなり得ません。
波汐國芳容疑者に、地位や名誉があったことで、人一倍プライドが高かったのかもしれませんが、最も近くで見ていなければならない家族の判断が、どのようなものであったのかが問われます。
とある家庭では、無理やり車をとりあげて、運転免許自主返納へ誘導させた家族もいるようです。
ボコボコにしてでも免許証を取り上げてもおk
ならまだしも「説得、話し合い」しか出来ないから家族も困ってると思うよ
実力行使でやめさせた話を見た事ある
オレ自身親族の介護してて色々な年寄り見る機会があるけど
ほとんどが説得(物理)の方が手っ取り早いような
ワガママで偏屈な老人がいるよ
本人の意思はわかりますが、いつ起こるかわからない交通事故への備えと、世間の目を考慮して、家族が押し切ることも必要であることを強く感じます。
独居させるのであれば、娘・息子が、免許自主返納について、波汐國芳容疑者と真剣に話し合って決めさせることが必要でした。
残念ながら、それも結果論となってしまいました。
歌人として老後を謳歌していた、97歳の波汐國芳容疑者が、車さえ乗っていなければこんなことにはならなかったと思えば、本当に可愛そうです。
波汐國芳は免許返納せず「タクシー1割引きじゃ買い物にも行けん」福島市支援不足
事故車両を確認すると、波汐國芳容疑者は、高齢者マークの旧タイプである、 “もみじマーク”を貼り付けて運転していたことがわかりました。
(出典:テレビユー福島 より)
もみじマークは2011年移行前までの旧タイプで、2011年以降は、 “四つ葉マーク”が一般的なものとなりました。
四つ葉マーク名前の通り、四つ葉のクローバーがモチーフになっています。オレンジ、黄緑、緑、黄色の鮮やかな四つ葉のクローバーと、シニアの頭文字である「S」を組み合わせたデザインです。この四つ葉マークのデザインは、2011年から新デザインとして使用されています。
もみじマーク
しずく型のデザインをしていますが、もみじマークと呼ばれています。名前の由来は色です。黄色とオレンジの2色で色分けされています。1997年に高齢者マークが施行されてから、2011年まで主に使用されていました。現在は四つ葉マークへの移行が進んでいますが、もみじマークも変わらず使用が可能です。
この2つはデザインが新しいか古いかという違いだけで、意味が異なるものではありません。2種類あるのは、2011年にデザインが変更されたためです。
「もみじ」というと、枯葉や落ち葉といったネガティブな印象を抱いてしまうということで、批判の声が多くありました。それを踏まえ、高齢者ドライバーの意見や一般の方へのアンケート結果をもとに、四つ葉マークが公募デザインから採用されました。
出典:カーナリズム より
上記のことより、2011年に誕生した四つ葉マークに変えずに、古いステッカーのまま、波汐國芳容疑者は運転していたことがわかります。
11年前の86歳でも相当な高齢ドライバーですが、波汐國芳容疑者は、四つ葉マークに変更せず、運転し続けていたということになります。
2011年と言えば、東日本大震災が発生した年であり、波汐國芳容疑者にとっては、短歌に “原発反対”の思想が生まれた転換期でもありました。
自らの職務としていた原子力発電所の開発が、間違っていたと痛感した年に、運転免許返納や高齢者マーク変更に、気を向けなかったとすれば非常に残念でなりません。
なぜ、波汐國芳容疑者が自動車の運転をし続けたのか探っていくと、福島市の免許返納制度に、波汐國芳容疑者が納得できなかったのではないかという点が浮かび上がりました。
以下は、福島市のホームページです。
(出典:福島市 HP より)
運転免許証自主返納者支援事業
運転免許証を自主返納した65歳以上の方が、福島県タクシー協会加盟のタクシーを利用する場合、運転経歴証明書を提示すると乗車料金が1割引になります。
詳しくは各タクシー会社へお問い合わせください。
福島県タクシー協会(外部サイトへリンク)
このホームページ内に、 “運転免許証自主返納者支援事業” という項目があります。
どのような特典があるのか見てみると、「タクシー料金1割引き」という、なんとも微妙な割引サービスのみとなっていることがわかりました。
外部サイトへのリンクを開いてみると、福島市に点在する、タクシー業者の連絡先一覧が、紹介される仕組みとなっていました。
(出典:福島県タクシー協会 HP より)
タクシー会社を紹介してもらえる分にはありがたいですが、無料で利用できるわけではないので、複雑な気持ちになる気はします。
福島県のタクシー運賃を調べてみると、初乗りで580円かかることがわかりました。
(出典:taxisite より)
福島県地区
1km 580円
2km 1,030円
3km 1,390円
4km 2,110円
10km 3,910円
免許を返納してしまえば、結局タクシー代が嵩んでしまう。その都度タクシー業者に問い合わせなければならない。めんどくさい。
このような不満ばかりが、波汐國芳容疑者の頭の中に渦巻いていたことが想像できます。
97歳でこれだけ体が動く。歌も詠める。地位も名誉もある。家族も何も言ってこない。
波汐國芳容疑者にみなぎる自信が、車をチェンジして運転続行の意思を強めたことも報じられています。
「前はもっと大きな車だったんです。3、4カ月くらい前に、今の軽自動車に替えたばかりなんですよ」(近くの住民)
出典:デイリー新潮 より
明らかに誰かが止めなければならなかった状況であったことがわかります。
今回事故を起こした軽自動車に変えるタイミングが、車に乗るのを辞めるタイミングでした。
この3~4カ月の間に、家族が止めていれば、悲惨な死亡事故は起こらなかったと言っても過言ではありません。
一見すれば、自由に生きる優雅な上級歌人ですが、見方を変えれば、子供たちに見放された、寂しい独居老人です。
どれだけ、高齢者の見守りが、内縁の間で必要であるか、波汐國芳容疑者の姿が物語っています。
ネット上では、高齢ドライバーへの痛烈な批判ばかりが目立っていました。
☞ ヤフコメ
☞ ツイッター
うちのじいちゃんと同い年やないか。
うちのじいちゃんは80歳で車やめたし、90歳の大往生だった。
長生きしても波汐容疑者みたいに人生の最期に殺人鬼になるくらいなら早くお迎えが来た方がマシかなと思ってしまう。
☞ 5ちゃんねる
実際には原発より高齢ドライバーの方が
はるかに悲劇をもたらすとはな
今回のような悲惨な事故を防ぐために、運転免許の自主返納は、重要な制度であることは間違いありません。
しかし、波汐國芳容疑者のように、元気な高齢者もたくさんいることは事実です。
運転技術を過信してしまう高齢者を、どのようにすれば安心させることができるのか。
妻を亡くし、子供と離れた独居の高齢者に、安心して公共交通機関を利用してもらうための福祉が充実していれば、悲惨な事故は起こらなかったのではないでしょうか。
いわき市に生まれ、東北電力時代を反省し、75年もの間、平和を謳い続けてきた、波汐國芳容疑者を責めるには、酷すぎる実情があるように思えます。
被害に遭われた方々には、早期回復をお祈りするとともに、不運にも命を奪われてしまった、川村ひとみさんには、ご冥福をお祈りすることしかできません。
神奈中(かなちゅう)バス事故の現場を調査「バス1台分の細い道」町田市能ヶ谷7丁目