吉田佳右メタノール殺害まとめ「離婚はしない毒殺してやる」第一三共社員不祥事

yoshida keisuke

 

2022年1月16日に起きた吉田容子(ようこ)さんの変死。警察が病死と判断した事案は、夫である吉田佳右(けいすけ)容疑者が企てた、メタノールを用いた中毒死でした。

 

この記事では、9月16日に逮捕された、第一三共社員であり、新薬の開発に携わる研究員であった吉田佳右容疑者が起こした不祥事に関して、これまでの経緯と共にまとめていきたいと思います。

 

吉田佳右学歴「彼を知る者はみな優秀と呼ぶ」

吉田佳右容疑者は、2022年9月時点で40歳。会社勤めの父と、公務員の母から生まれた長男です。

1981~1982年生まれ、大阪府堺市出身。姉と妹がいるそうです。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

大阪府堺市のニュータウンで、姉と妹の三きょうだいで育った吉田。父は会社勤め、母は公務員で、絵に描いたような優等生だった。

 

小中学校時代の佳右容疑者を知る人の話が、関西弁であることから、そのような推察をしています。

yoshida keisuke

 

 

吉田佳右の小学校中学校時代「一気にシャレっ気増す感じも優秀」

吉田佳右容疑者の大阪府の小・中学時代の知人は、吉田佳右容疑者のことを「優秀で何一つ非の打ちどころがない」と、当時の佳右少年を評価する発言をしていました。

yoshida keisuke

 

また、「しょっちゅう、うちに来てご飯食べたりしていた。その代わり『勉強教えたるわ』と。頭いいから。」と言っていたという出来事をふりかえったそうです。

さらに、幼い頃の吉田佳右容疑者をよく知るという70代女性からは、「佳右くんのお父さんは有名企業に勤めるとても優秀な方でした。一人っ子の佳右くんの教育に関しては特に厳しくて、家から佳右くんを叱りつけるような大きな声が聞こえてくることもよくありました。お母さんはすごく美人で穏やかな方。佳右くんの教育の事でご主人とは揉める事も多くあったみたいです。」と、子どもの頃は厳しくしつけられたこともあったようでした。

 

中学ではメガネを外し、コンタクトレンズで生活した様子が窺えます。髪の毛も茶色く、小学生の頃よりもだいぶ思春期時代の成長を窺わせる姿に見えます。

yoshida keisuke

 

勉強だけでなく、運動にも積極的に参加していたのではないかと感じさせる写真もあります。髪を伸ばし、分けて、なびかせている感じもあります。

yoshida keisuke

 

中学時代はテストで常に1番。すでにこの頃から「薬剤師になりたい」と夢を語っていたほどだったようです。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

 

小・中学校時代の写真はこれだけで、どこの学校に通っていたかまでは定かになっていません。

 

吉田佳右高校時代「偏差値70超の三国丘高校を卒業」

吉田佳右容疑者は、大阪府立三国丘高校を卒業したことが報じられました。

yoshida keisuke(出典:週刊文春電子版 より)

 

小・中・高と順調に学力を向上させていく、誰もがうらやむような子どもだったことが窺い知れます。

 

吉田佳右大学「同窓会誌芳香の編集委員だった」北海道大学薬学部

朝日新聞の報道によると、吉田佳右容疑者は、「北海道大学薬学部」を卒業した人物であることが報じられています。

(出典:朝日新聞 より)

吉田容疑者は北海道大薬学部の卒業。「成績優秀で明るい人。殺人事件を起こすなんて想像もつかなかった」と大学時代を知る男性は言う。「いつも中心にいる人気者」で、同級生を誘って飲みに行く姿が印象に残っているという。

 

吉田佳右容疑者の大学時代を知る人物からは、「成績優秀で明るい人」「いつも中心にいる人気者」「同級生を誘って飲みに行く姿が印象に残っている」というように、接しやすく兄貴肌な人物であったようでした。

 

また、吉田佳右容疑者は、北海道大学薬学部3年時に、同窓会誌「芳香」の2004年編集委員を務めていたことがわかりました。
(出典:北海道大学薬学部同窓会 HP より)

 

(出典:北海道大学薬学部 HP より)
同窓会誌芳香の発行年と編集委員
2004(年) 53(号) 48(期)  吉田佳右

 

知人の方の言うとおり、北海道大学薬学部時代の吉田佳右容疑者は、成績優秀で、かつ同窓会誌の編集委員も務めるような立派な人物であったようです。

 

さらにもう1点、同窓会誌に関わる資料が残っています。
北大薬学部同窓会誌芳香全号目次(2)
第 26 号(1972 年)-
第 71 号(2022 年)
年 1 回発行
<第53号(2004)>
編集後記
編集委員  吉田佳右

 

吉田佳右容疑者の大学3~4年生時は、2004年に、年1回発行される同窓会誌編集委員を務め、2005年3月北海道大学薬学部を卒業するという流れであったことがわかりました。
大学在学中の吉田佳右容疑者は、大阪から北海道に渡っても誰からも慕われるようなすばらしい人間性の持ち主だったようです。

yoshida keisuke(出典:週刊文春電子版 より)

01年に北海道大学薬学部に進学した。異郷でも屈託なく振舞う吉田は周囲に慕われ、薬学部の同窓会誌の編集委員にも名を連ねている。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

「理系っぽくない陽キャでした。陰で『あいつはダメ』と他人の悪口を言うこともあった。学生時代にも彼女がいたし、女性に人気はあったと思う」(吉田の知人)
大阪出身とあって、理系らしくないはじけた感じの学生だったようで、陰で悪口を言う一面もあったという話があるようです。
性格の二面性が徐々に育っていった部分はあったのかもしれません。女性にはモテていたようでもあります。

 

大学1~2年生の頃の様子は、現段階では明らかになっていません。

 

吉田佳右の大学院(北大)「研究者の道を選択」薬学研究院

吉田佳右容疑者が、北海道大学薬学部を卒業後、どのような道に進んだかについては、『FRIDAY』が報じています。

FRIDAY(出典:FRIDAY デジタル より)

吉田容疑者は北海道大学大学院を修了

 

北海道大学大学院時代の吉田佳右容疑者の顔はこのようにイケメンだったようです。

yoshida keisuke

 

また、吉田佳右容疑者が北海道大学大学院在学中に残したと思われる論文が残されていました。

 

● 「プロテアソーム阻害剤ベラクトシンAとその位置及び立体異性体の系統的合成:高活性シスシクロプロパン類縁体の創出」

(出典:CiNii より)

 

プロテアソーム阻害剤ベラクトシンAとその位置及び立体異性体の系統的合成:高活性シスシクロプロパン類縁体の創出
吉田佳右 北海道大学大学院薬学研究院

(出典:J-STAGE より)

プロテアソーム阻害剤ベラクトシンAとその位置及び立体異性体の系統的合成:高活性シスシクロプロパン類縁体の創出
吉田佳右
北海道大学大学院薬学研究院
発行日:2007年

 

2007年4月に「第一三共」に入社した吉田佳右容疑者が、北海道大学大学院薬学研究院で発表した研究成果はこの他にも、
● 「ベラクトシンAの三次元多様型誘導体:系統的合成とプロテアソーム阻害活性」
● 「立体的多様性を鍵とする分子設計:プロテアソーム阻害剤ベラクトシンAの合成と三次元的構造活性相関」
の2つが確認できるようになっており、これから新薬の研究者になるべく人材として有望だったことが窺えます。

 

このことから、吉田佳右容疑者が、北海道大学大学院に進学したことが明確になりました。

 

また、北海道大学薬学部のホームページには、4年制の薬学部薬学科を卒業した後、さらなる研究のために、大学院に進むことを推進する記述がありました。(出典:北海道大学薬学部 HP より)

薬学部・薬学研究院の概要

薬科学科

4年制の薬科学科は、ライフサイエンスおよび創薬科学分野において、国際的に活躍できる優れた研究者・技術者の養成を目的としています。このために、生命のしくみや機能を明らかにする生物化学、新しい薬を創りだすために自然界から新規の生理活性物質を見出して構造解析する天然物化学、複雑な構造を持つ生理活性物質を合成する有機合成化学や医薬候補品のドラッグデザインをする医薬化学、そして分子の性質および分子間相互作用を理解する物理化学を中心に、薬学に必須な基礎科学を優先して学修します。

続いて、薬物と生体との相互作用や薬理活性発現の原理・機構などについての理解を深め、有効で安全な医薬品を創製するための思考法・方法論を修得します。また、衛生化学や公衆衛生学などの教育を通じて薬学に関連する分野の基礎的素養を理解し、学際的な分野への対応能力も含めた専門応用能力を培います。さらに3年次後期からの学科分属以降は、創薬に関連する最先端の有機合成化学・ドラッグデザインやライフサイエンス系科目を学ぶとともに、演習、論文講読および1.5年間の卒業研究における個別研究指導を通じて基礎的実力を練成し、独創的・先端的研究を遂行する能力を培います。

薬科学科卒業後の進路としては、大学院に進学して研究者としての能力を高めることが望まれます。

「薬科学科卒業後の進路としては、大学院に進学して研究者としての能力を高めることが望まれます」という、北大の指針の元、吉田佳右容疑者は、そのとおり北海道大学大学院に進んだと推察することもできます。

 

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吉田佳右は第一三共社員「2度の留学で期待していた」新薬開発の研究員

吉田佳右容疑者は、北海道大学大学院を2007年3月修了後、4月には大手製薬会社「第一三共」に入社しました。

入社動機は、「薬で人を救いたい。研究で多くの人に貢献したい」という志の高いものでした。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

「薬で人を救いたい」

「研究で多くの人に貢献したい」

そう志望動機を語り、念願かなって07年に第一三共に入社を果たす。

「武田薬品やアステラス製薬などは研究施設が地方にあることが多い中、第一三共は品川が中心。そのため人気も高く、入社は簡単ではない」(第一三共関係者)

 

新薬の開発を担当する研究員として、事件が起きる2022年1月まで、およそ15年の勤務期間を「第一三共」で過ごしています。

吉田佳右容疑者のことを社内の人々はこのように話しています。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

「自分から取り組む探究心があり、朝から晩まで熱心に研究をしていた。周りも認める優秀な研究員でした」(元上司)

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

「当時、彼は抗がん剤の研究をしていました。研究所の仲間と飲みに行くことも多かった。関西弁でよくしゃべる、明るい若手で人気もあった。人間関係のトラブルを感じさせるタイプではなかったです」(元上司)

 

上司の目からは、期待の有望株だったことが窺い知れます。

しかし、吉田佳右容疑者自身には、周囲との比較を意識するようになり、社内では焦りの一部をのぞかせていたようでした。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

ただ、理系エリートの世界ならではの一種の劣等感を抱えていたという。
「彼の同期にはドクター(博士)が多かったんですよね。でも彼は修士だった。研究の蓄積の差という意味で、引け目を感じる部分もあったようでしたね。そこで、研究意欲も、見込みもある彼に機会を与えて博士号をとってもらおうと、会社は期待を込めて、国内留学させたんです」(元上司)
会社に籍を置きながら千葉大学大学院で研究し、15年に博士論文を提出する。
「博士論文は出して終わりではなく、そこから審査などがある。仕事と並行して行ったはずなので、大変だったと思います」(元上司)

 

吉田佳右容疑者は、2013~2015年の期間、第一三共に勤務をしながら、千葉大学大学院に通い、「博士号」を取得しました。

こちらは、その時の博士論文です。

the study

 

この論文発表をもって、千葉大学大学院 医薬薬学府 創薬生命化学専攻を修了。

「博士号」取得に至るまでの協力に関して、研究に携わってくれた千葉大学大学院の関係者と、その間の機会を保障してくれた「第一三共」に対して謝意を表しています。

the study

在学中お世話になりました、薬品合成化学研究室ならびに第一三共株式会社 創薬科学研究所の皆様に深く感謝いたします。

 

この後、吉田佳右容疑者は2018~2020年にわたって、「第一三共」に籍を置きながら、アメリカの大学に博士研究員(ポスドク)として移住して留学を経験したということが報じられています。

(出典:読売新聞 より)

18年からは2年間、米国の大学に博士研究員(ポスドク)として留学。周囲には「国内、海外と2回も留学させてもらったので、組織に貢献したい」と仕事に意欲を見せていたという。

 

このように、「第一三共」は、吉田佳右容疑者の成長のために、かなりの尽力をしてきたことが窺えます。

 

ただ、この頃の吉田佳右容疑者は社内でも “浮いた” 存在になっていたことが明かされています。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

会社でもやや浮いた存在になりつつあったようだ。
「他人とコミュニケーションを上手く取れなくなっていた。彼の年齢・キャリアなら、もっと上の地位でもおかしくないが、足踏みしていた」(吉田の知人)

 

2022年時点で、吉田佳右容疑者の研究員としての地位は、社内で厳重に保管されている劇薬「メタノール」を、業務上、倉庫から持ち出せる権限もあるほどの人物であり、さらには日常的に扱っていた人物であったことが報じられています。
(出典:時事通信社 より)
東京都大田区で1月に起きたメタノール中毒死事件で、製薬大手「第一三共」の社員吉田佳右容疑者(40)が、研究開発員として日常的にメタノールを使用する立場だったことが18日、関係者への取材で分かった。    
業務上、倉庫から持ち出せる権限もあったといい、警視庁捜査1課は、事件に使った可能性もあるとみて入手先特定を急いでいる。同課は同日、殺人容疑で吉田容疑者を送検した。
関係者によると、吉田容疑者は第一三共で研究開発部門に所属し、新薬の研究などに取り組んでいた。研究では、実験などに欠かせない溶媒としてメタノールを日常的に使用している。
同社が研究施設の倉庫で管理しているメタノールは、劇物指定されている含有率がほぼ100%の原体。小さなガラス瓶などの容器で保管されており、施設の各階に設置された倉庫から実験室に運び、目的に応じ希釈するなどして使うという。
第一三共は取材に対し、メタノールを倉庫から持ち出す場合は記録簿への記入を義務付け、使った本数や量も記録に残すなど管理を徹底していると説明。実験室での使用状況も記録簿で管理しているという。無断で研究施設の外に持ち出せる状況にあったかについては、「社内調査を進めている」としている。

 

この時にはすでに、かつて「薬で人を救いたい」という野心を抱いていた、若手研究員の頃の吉田佳右ではなくなっていったようでした。

 

 

吉田佳右妻容子「愛飲の焼酎が盲点だった」メタノール中毒死

吉田佳右容疑者の妻である容子さんは、佳右容疑者と同じく40歳で、1981~1982年生まれであったことが推察されます。

 

吉田容子幼少期「育ちの良さも旦那と一緒」

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

容子さんも才女だった。神戸市に兄2人続く末っ子として生まれる。祖父母は町工場とタバコ屋を営み、父は証券マン。小学校卒業後、中高一貫の神戸海星女子学院に進学した。近隣住民が振り返る。

「静かなご家庭でした。ピアノなど習い事もしてたと思います。大事に育ててもらっているお嬢ちゃんという印象でした。お母さんがよく送り迎えしてましたわ」

 

容子さんは、神戸市生まれ。3人兄弟で、上に2人の兄がいたそうです。

容子さんの祖父母は町工場とタバコ屋の経営者、父は証券マンだったそうです。

容子さんの中学校・高校は、神戸海星女子学院だったそうです。ピアノの習い事をしていたようです。

 

容子さんを知る女性からは、 「将来のために一生懸命やってたんだと思います。小さい時から頭が良いことは有名ですね。」という言葉が聞かれました。

yoshida yoko

 

yoshida yoko(出典:Nスタ より)

 

実際、容子さんの小学校の卒業文集には、「国連職員になりたい」という夢が綴られていました。
anthology(出典:Nスタ より)

 

小学校時代の容子さんは、きちっとした洋服を着て、清楚な少女だったことが窺えます。

yoshida yoko(出典:Nスタ より)

 

頭の良さもさることながら、快活で、元気いっぱいだった様子であったと感じさせられます。
yoshida yoko(出典:Nスタ より)

 

小学校の詳細は明かされていませんが、神戸海星女子学院中学・高校で着実に学力を上げていき、大学は「神戸大学農学部」であること、その後大学院が「京都大学大学院」であることも明かされています。
yoshida yoko(出典:Nスタ より)

 

妻の容子学歴「偏差値70クラスがふつう」

(出典:産経新聞 より)

妻の容子さんは神戸大農学部卒業後、京大大学院に進学した。

 

大学時代よりも高偏差値の大学院へと進んだ容子さん。

(出典:週刊文春電子版 より)

神戸大学農学部を経て、京都大学大学院で修士課程を修了。当時の教員の1人が話す。

「食品系の研究をしていました。ハキハキとしていて、忘年会などでもリーダーシップを発揮していました。研究に没頭するだけではなく、化粧や服装の身だしなみにも、とても気を遣っていた。交流も広くて、就職の相談をしていた先輩男子のことを『イケメンでええわ~』『振られちゃった』とサラッと言ってましたね」

大人の女性になった容子さんは、化粧や身だしなみに気を遣う魅力的な学生だったことが窺い知れます。

関西系のノリで、チャキチャキ・サバサバという感じの美人だったようでした。

yoshida yoko(出典:週刊文春電子版 より)

研究室のソフトボール大会での容子さん(所属研究室 HP より)

yoshida yoko(出典:週刊文春電子版 より)

大学院時代の容子さん(所属研究室 HP より)
表情の感じからも、生き生きとした女性研究者だったことが推察されます。

 

そうして高い志を持って、「第一三共」に入社したことが推察されます。

 

(出典:マナビジョン より)

神戸大学農学部の偏差値は63~71です。
京都大学農学部の偏差値は72~74です。

 

夫婦そろって高学歴であることが明らかになっています。

 

嫁の容子第一三共社員「出会ってしまった不幸」夫婦生活も破綻

吉田佳右容疑者と同じ、2007年4月に「第一三共」に入社。

2010年に、吉田佳右容疑者と結婚したとされています。

その後容子さんは第一三共を寿退社。そして長男を出産。

亡くなる前までは、広告会社に勤務しながら、今では小学生にもなる1児の母として育児に励んでいたことが報じられています。

bunsyun

(出典:週刊文春電子版 より)

不和の原因の1つが吉田の “女ぐせ” だという。

「彼が浮気をし、女性と関係を持っていったんです。しかも1人ではなく複数だったと聞きました。容子さんは寿退社して、その後に広告会社に再就職。働きながら子育てもこなしてきた。夫の不倫に傷つき、追及することもあったようです」(容子さんの知人)

 

その後夫婦の関係が悪化。

2015年、吉田佳右容疑者が千葉大学大学院に通いながら勤務していた今から7年前から、夫婦間の暴力などについて、夫婦それぞれが警視庁に相談していたことが報じられています。

(出典:産経新聞 より)

関係者によると、2人は会社の同期で平成22年に結婚し、妻の容子さん(40)が退社。その後、長男が生まれたが、5年以上前から関係が悪化していたという。口論では吉田容疑者が暴力を加えることもあったとされ、容子さんはスマホに画像を記録していた。

(出典:TBS NEWS DIG より)

捜査関係者によりますと、夫婦間の暴力などについて夫婦それぞれが7、8年前に警視庁に相談していたといいます。

 

2017年頃には、夫婦は別居状態であったと報じられています。

 

2018~2020年、吉田佳右容疑者がアメリカに留学した際は、一家で移住したと報じられています。

(出典:TBS NEWS DIG より)

吉田容疑者は北海道大学の薬学系の大学院を修了後、2007年に「第一三共」に入社。2018年から2年間、会社に籍を置きながらアメリカの大学に留学し、家族で移住しました。

 

容子さんは、エスカレートしていく吉田佳右容疑者のDVや不倫関係に危機感を感じて、被害の証拠を残すようになっていたと報じられています。

bunsyun(出典:週刊文春電子版 より)

徐々にエスカレートしていく夫婦喧嘩。容子さんはスマートフォンで、夫と口論になった際に動画を撮影するようになる。

「容子さんのスマホには、『くさい』など、吉田に対しての嫌悪する言葉を投げつけていた動画が複数残されていました。更に、吉田から暴力の痕とみられる画像もあったといいます」(前出・捜査関係者)

容子さんの実家付近では、夫不在で息子だけ連れて帰省する姿もここ数年で目撃されている。

「容子さんは、トラブルが悪化していくに従って、離婚などの対処を見据えるようになっていたんだと思う。だからスマホに “証拠” を保存していたんでしょう」(前出・容子さんの知人)

 

そして、2022年1月14日(金)、息子と一緒に食事をしていた容子さんは、いつも飲んでいる焼酎を普段どおり口にしたとされています。その焼酎の中に「メタノール」が混入していて、その後容子さんの様子がおかしくなっていきます。

1月15日(土)、容子さんに嘔吐の症状やろれつが回らなくなる、ベッドから落ちる、冷たい風呂に入るなどという異常行動が発生します。

1月16日(日)朝、容子さんはベッド脇に倒れていて、メタノールによる中毒で死亡したということが、その後の司法解剖の結果で明らかになっています。

(出典:FNN より)

事件のきっかけは2022年1月、東京・大田区にある吉田容疑者の自宅マンションで、妻の容子さん(40)が倒れたことだった。 吉田容疑者は「意識のない状態で倒れている妻を発見した」と、自ら119番通報した。 容子さんは自分の部屋で倒れており、搬送先の病院で死亡が確認された。 吉田容疑者は駆けつけた警察官に、当時の状況をこう説明していた。 死亡する前日の朝、吉田容疑者は自分の部屋で嘔吐(おうと)する容子さんの姿を目撃。 しかし、この時は「二日酔いだと思ってそのままにした」という。 さらにその後、ろれつが回らない状態になり、ベッドから落ちるなどしたと説明している。 ところが、吉田容疑者は「またも二日酔いだと思い、そのまま床で寝かせた」という。 そして翌朝、ベッド脇に倒れていた容子さんを発見したと説明している。 司法解剖の結果、容子さんの遺体からメタノールが検出され、死因は急性メタノール中毒と判明した。

(出典:TBS NEWS DIG より)

吉田容疑者 「嘔吐していたが二日酔いだと思った。冷たいお風呂に入るなど奇妙な行動をしていた」

 

 

吉田佳右容子「もう愛していなかった」事件の争点

吉田佳右容疑者が供述している言葉を拾っていくと、

● 夫婦仲が悪く、よくけんかをしていた。(容子さんのスマホに、夫婦が口論するような動画が残されていた)

(出典:日テレNEWS より)

捜査関係者への取材で、吉田容疑者が逮捕前の任意の調べに、「夫婦仲が悪く、よくけんかをしていた」などと話していたことがわかりました。 吉田容疑者は逮捕直後には容疑を否認し、その後、黙秘しているということです。 また、容子さんのスマホには、夫婦が口論するような動画も残されていて、警視庁は、夫婦間にトラブルがあったとみて調べています。

 

● 異性関係をめぐる行動で、口論があった。容子さんに暴力を振るうことがあった。(容子さんのスマホに、口論・暴力の音声・映像が残っている)

(出典:産経新聞 より)

事件直前も、吉田容疑者の異性関係などをめぐる行動で、口論があったとされる。逮捕前の任意聴取に、吉田容疑者も容子さんに暴力を振るうことがあったと認めていたという。

 

● 容子さんに暴力を振るうことがあった。(容子さんの顔が腫れるくらい強く殴られた証拠の画像が複数ある)

(出典:TBS NEWS DIG より)

また、容子さんのスマートフォンには吉田容疑者の暴行で腫れたとみられる顔の画像が複数保存されていて、警視庁は犯行の動機を慎重に調べています。

 

● 金銭感覚の違いからトラブルになっていた。

(出典:TBS NEWS DIG より)

吉田容疑者 「夫婦喧嘩で手を上げたことはある。金銭感覚の違いからトラブルになっていた」

 

「異性関係」「金銭感覚の違いによるトラブル」が過熱していき、吉田佳右容疑者が暴力を加えるようになったということがわかってきています。

 

この事件の解明が難航している背景には、吉田佳右容疑者の黙秘と、犯行に用いた「メタノール」の証拠がつかめていないことがあります。

(出典:FNN より)

自宅からは、メタノールの容器や液体などは見つかっていないということで、警視庁は、勤務先から持ち出したメタノールを犯行後に処分したとみて調べている。
(出典:産経新聞 より)

・会社員の妻が休日で外部との接触が乏しくなる週末を狙って犯行に及んだ
・メタノールの中毒症状を呈する過程を十分に把握した上での犯行

 

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吉田佳右犯行動機「別居するほど詰んだ嫁への不満」妻メタノール中毒死

 

 

吉田佳右自宅マンション「逸脱した夫婦の子が残されただけの場所」

吉田佳右容疑者の自宅マンションとして推定されているのは、「パークホームズ西馬込クリアコート」です。

報道で映し出された自宅マンションの外観がこちらでした。

 

 

グーグルマップから特定を試みて、「パークホームズ西馬込クリアコート」に行き着きました。

 

(出典:三井のリハウス より)

パークホームズ西馬込クリアコート

 

2010年に結婚して、すぐに長男を授かったとすれば12年。

最も大きくなっているとすると小学6年生。

夫婦関係が悪化し始めた2015年頃は、5歳。その頃から夫婦が口論でケンカをする姿を見続けてきたことになります。ひどい時には殴り掛かる光景も目にしたかもしれません。

 

そんな仮面夫婦のもとに生まれた長男の子は、この先どう暮らしていくのでしょう。

高級マンション「パークホームズ西馬込クリアコート」が、母親が毒殺された現場となり、住み続ける場所ではなくなったことは間違いありません。

 

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吉田佳右イケメン画像「ホントの顔は地雷踏んだ妻しか知らない」

痛ましい事件を起こした人物が、不謹慎にも「イケメン」であるとささやかれることとなりました。

「爆サイ」にこのようなコメントがありました。

俳優の高橋一生みたいに爽やかだな

 

そのように捉えられなくないですが、いろんなエフェクトが効いていて、かっこよさの妄想が増しているだけのようにも思えます。

分け目も薄くなってきますし、毛先がハネ気味でもあります。

40歳 草食男子を装った、中身は毒殺DV不倫夫です。

 

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吉田佳右書き込み「夫の妻の会社の落ち度」

吉田佳右容疑者が起こした今回の事件。証拠の立証が難しい「密室殺人」「メタノール中毒」をめぐって様々な憶測が飛び交っています。

ここでは、「5ちゃんねる」で語られている書き込みについて紹介していきます。

 

● 「会社の責任もある」説

化学物質を管理できていないんだったら会社の責任よかね
管理できているのであれば起こらない事件だから
むしろ第二のサリン事件にならなくて安心してるわ
劇物指定の「メタノール」を持ち出したのは、研究員として日々扱っていた吉田佳右容疑者でしたが、その管理状況下をかいくぐられた、「第一三共」の管理システムの脆弱さが露呈してしまったという面もあります。

 

● 「家庭内構図劣勢」説
何で殺すの?の疑問については、状況によっては全然アリになっちゃうんだよね…
夫婦になったとはいえもう冷えたを通り越し家庭内別居の拗れた関係
例えば嫌がらせを断続的に繰り返されてたとかならば、心が壊れてくるから殺意は普通に生まれるよ
都内の狭い空間で三人家族で奥さん子供VS自分の2:1劣勢の構図だっただろうし
大田区の自宅マンションで、子どもと一緒に暮らしていた妻容子さん。
食事を常に用意してくれる母親が一緒にいる反面、父親は別居で普段は一緒にいないという関係性から、家庭で一緒になった際は、家庭内勢力的には、吉田佳右容疑者が劣勢になることは十分考えられます。
吉田佳右容疑者にとって、 “通い” になった自宅マンションは、憩いの場ではなく、憎しみの場所になっていたことは考えられます。実際に自宅マンションが犯行現場となっています。

 

● 「発達障害があった?」説
こいつ普段から奥さんの顔に痣が出来るぐらい殴ったりDVしてたらしいよ
何で殺すの?と言われたら元から暴力のハードルが低い頭がおかしい人間だからだよ
普通の人間なら人間関係こじれても殺人事件は起こさないし嫁を殴らないで離婚する
普段から暴力を振るう人間は善悪を感じる脳の構造がおかしんだよ
殺人やる奴が子供の頃から小動物をいじめたり殺した経験があるように
元から脳の形質以上が疑われる
あとこいつの理論だと
完全に嫁が旦那に嫌がらせを続けて旦那の心を壊して嫁が旦那が殺人やるように導いた原因みたいに書いてるが
もうその理論を考えつく時点でこいつもDVを振るう側、殺人やる側の人間でしかない
「相手が悪いから殺した」
この理論が通用すると思っているし
こういう奴は自己正当化が異常だから認知の歪みも酷い
常に自分だけが正しいと思い込む性格傾向があるし
そういう人間は発達障害持ちの可能性も高い
“高学歴” という印象が強い夫婦。頭脳明晰な反面、日常生活では理解し難い行動・習性があったり、主張を曲げないなどの頑なさがあったということも考えられなくありません。
偏った考え方の持ち主同士の、譲れない “正義” の押し付け合いがあったこともあり得ます。

 

● 「完全な心変わり」説
5channel
昔読んだエッセイで
「結婚して月日が経てば、夫婦は”相手が死んでくれないかな…”と心の中でふと思うものだ」…
みたいなことが書いてあってビックリした
女性目線から、結婚・出産がきっかけで、突如とした思考の変化があることも事例としてはあるようです。
容子さんの死生観に関して、佳右容疑者の不貞行為がきっかけで、ガラッと変わってしまったこともあり得ます。

 

● 「子育てと夫からのストレスで、妻がキッチンドランカーになってしまった」説
奥さんも会社員やってるって言ってたよ
テレワークだったとか
教育熱心な母親がテレワーク
反抗期の息子
悪いイタズラが予想外の結果に
父親に告白
妻も状況を理解するが息子をかばい救急車要請を拒否
妻死亡
父親は証拠隠滅し救急車要請とりあえず辻褄合わせてみた

 

でも紙パックの安酒飲んでたんだよ。
高い酒飲むほど勝手な人じゃないよね。世の中借金してでも飲み歩くクズもたくさんいるのにちゃんと仕事して子育てして、頭のイかれた夫と住んでて身も心もボロボロになってたんだろ。
せめてしばらくは子育てに専念すべきだったかなと思う。やってみるとわかるけど仕事より子育ての方がノイローゼになりやすいと思う。小さな子は言っても分からないし、猿みたいなもんだから、仕事の方がまだやりがいとか感じられる。子育てはやって当然、夫の理解がないとなじられたり、金使うなとか話す相手もいなかったりして病んでついキッチンドリンカーになっていくのかな。

夫婦不仲が原因で、別居生活だったことから、容子さんのストレスは増大していたことは間違いなさそうです。

育児に関する悩みもそうですが、金銭的な部分で、佳右容疑者の “無理解” が、容子さんの立場を追い詰めていったということもあり得ます。

その結果、「紙パックの焼酎」を愛飲するような、価格水準も行動基準もレベルが下がっていくところまで落ちていった可能性も無くはありません。

テレワークで “うつ” を患っていたことも考えられます。

 

吉田佳右冤罪説「決定的な証拠がない」

警察は、吉田佳右容疑者をとりあえず逮捕に踏み切って、自供を待とうとしているという見方も、巷では広がりを見せているようです。

この事件において、殺害したとされる証拠の数よりも、妻の容子さんに自殺の理由が見当たらない、自宅からメタノールが見つからない、他の第三者の犯行とは考えにくいなどの、消去法による罪状の立証に持ち込もうとしている警察の動きが見え隠れしています。

(出典:khb5 より)

当初、警視庁は自殺と事故の両面で捜査していましたが、容子さんに自殺をする明確な理由がないことや第三者の介在がなく、自宅からメタノールが見つからなかったことなどから警視庁は、吉田容疑者の犯行と判断しました。

 

ネットの書き込みなどにも、「消去法」に反応するコメントがありました。
え、メタノールで妻殺害の容疑って妻の自殺理由が見つからないことと、第三者の介入の痕跡が無いっていう消去法なの??

 

こうしたことから、実は「冤罪」なのではないかと推察する考え方も多くなっているようです。
冤罪じゃないの?
メタノールなんてすぐ自分だと足がつくのにやらないんじゃ?
理由なく死にたくなるときもあるわ

 

メタノールの冤罪じゃない?
あらゆる恨みから死にたくなることもあるし、犯人に仕立て上げるってこともある。てか息子まで撮影するのやめなよマスコミ・・

 

そして、 “冤罪” という言葉で、「地下鉄サリン事件」での誤報道により、冤罪の被害を受けた河野義行さんを思い起こされる人もいたようです。
松本サリン事件は任意の段階で逮捕に至っていない。任意捜査の場合まだ引き返しができるのだが、逮捕されてしまうと引き返しが出来ない。一連の手続きに従って進んでいくことになる。警察は全力で自供を引き出そうとするだろう。警察は容疑者がクロと断定して逮捕するので、やっていなかったらしっかり説明して、それでも聞く耳を持たなければ黙秘するしかない。
「メタノールの入手経路や摂取させた方法については特定されていない」
「捜査関係者によりますと、夫は勤務先で薬品の研究・開発の業務にあたっていてメタノールを取り扱う機会があった」
松本サリン「冤罪」事件を思い出させる。逮捕報道で名前を出さない程度には各社警戒心が働いているようだが。
妻をメタノールで殺してしまったかも?事件、冤罪などではないといいなと。松本サリン事件の河野さんを思い出したのである。

 

松本サリン事件は、1994年6月27日に長野県松本市で発生したテロ事件。
オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布されたもので被害者は8名にも及びました。事件発生時、第一通報者である河野義行さんが、犯人として誤認され、その後、冤罪未遂事件・報道被害事件として取り扱われました。

【松本サリン事件概要】

1994年6月27日午後10時40分頃、長野県松本市で起きたテロ事件。
長野県松本市北深志1丁目の住宅街で、オウム真理教の幹部らが猛毒の神経ガスであるサリンをまき、8人が死亡、約600人が重軽傷を負った。
戦争状態にない国において、サリンのような化学兵器クラスの猛毒が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例であり、同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類がない。
教団関係の訴訟を担当していた長野県地裁松本支部の裁判官官舎を狙ったとされる。
発生後、第一通報者の河野義行さんを犯人視した警察とマスコミが批判を受けた。昨年7月に死刑が執行された元教団幹部13人のうち、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚を含む7人が事件に関与していた。

 

吉田佳右容疑者は、黙秘を貫いており、警察側は「消去法」による立証でいくしかない苦しい現状が突き付けられています。

(出典:デイリー新潮 より)

密室で起きた事件。薬物の入手時期や混入方法もはっきりと分からない。夫妻ともに高学歴だったことで注目を集めている東京・大田区で起きたメタノール中毒殺人事件で、逮捕された夫は今も否認を続けている。検察は“消去法による立証”で夫を有罪にできるのか。